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福岡地方裁判所小倉支部 昭和45年(ワ)1043号 判決

昭和四四年例第一三〇二号事件原告

昭和四五年(ワ)第一〇四三号事件被告

T男

右訴訟代理人

岩本憲二

昭和四四年回第一三〇二号事件被告

昭和四五年(ワ)第一〇四三号事件原告

Y子

右訴訟代理人

於保睦

外二名

昭和四四年(ワ)第一三〇二号事件被告

倉田重信

右訴訟代理人

松永初平

外一名

主文

一、昭和四四年(ワ)第一三〇二号事件原告T男の各請求並に昭和四五年(ワ)第一〇四三号事件原告Y子の請求は、執れも之を棄却する。

二、訴訟費用は、前項T男とY子の間においては之を二分し、その一をT男の負担、その余をY子の負担とし、T男と昭和四四年(ワ)第一三〇二号事件被告Y'の間においては高須啓の負担とする。

事実

昭和四四年(ワ)第一三〇二号事件について、昭和四四年(ワ)第一三〇二号事件原告、同四五年(ワ)第一〇四三号事件被告T男(以下単に原告という。)訴訟代理人は、「被告ら(昭和四四年(ワ)第一三〇二号事件被告、同四五年(ワ)第一〇四三号事件原告Y子及び昭和四四年(ワ)第一三〇二号事件被告Y'。以下単に被告ら、という)は原告に対し連帯して金五五三万五、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年一月一四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、原告は、昭和三年八月二〇日T・Mの長男として出生し、小倉中学を卒業後江田島の海軍兵学校に入学したが、半年にして終戦を迎え、その後、昭和医大を卒業して九大一外科に入局し学位を獲得して現在医療法人T医院の副院長を勤めており、被告Y子は、Y・Sの二女として昭和二〇年八月一三日出生し、小倉西高校を卒業後、家事の手伝いをしていたもの、被告Y'はその義兄である。

二、原告は、被告Yと昭和四四年一〇月三日頃結納を交して婚約した上同年一一月六日下関市入江町訴外K方において、同人夫妻を原告側の媒酌人とし、訴外E夫妻を被告Y側媒酌人として結婚式を挙げ、同日北九州市小倉区日活ホテル(現小倉ホテル)において披露宴を催し、その後直ちに山口県豊浦郡豊浦町川棚温泉へ新婚旅行に出かけた。

三、然るに被告Yと予てから情交関係にある旨の風評を有する被告Y'は、同夜三回にわたり被告Yに電話をして同被告を誘い出し、同被告は原告の就寝中、無断で旅館を抜け出した上実家へ逃げ帰り、原告との婚約を破棄したが、右は被告らの共同による不法行為に基くものであるから、被告らは、原告に対し連帯して右婚約破棄により生じた損害の賠償をする義務がある。

四、しかして原告の蒙つた損害は次のとおりである。

(1)  結納金  二〇万円

婚約指輪代 八万五、〇〇〇円

水引酒肴料他一万七、五〇〇円

結婚式費用一八万六、五〇〇円

披露宴費用 四万六、〇〇〇円

右合計 金五三万五、〇〇〇円

(2)  慰藉料

被告らの行為により原告の受けた精神的苦痛は大なるものがあり、その慰藉料としては金五〇〇万円をもつて相当とする。

五、よつて、原告は被告らに対し第四項の損害額合計金五五三万五、〇〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四五年一月一四日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴に及ぶ、と陳述し、被告らの主張の抗弁事実は否認する。と述べた。

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁及び抗弁として、被告Y訴訟代理人は、原告主張の請求原因第一、二項の事実は認める。同第三項中、新婚初夜被告Yが旅行先から実家へ逃げ帰り、原告との婚約を破棄したことは認めるが、その余の事実は否認する。同第五項の事実は否認する。と述べ、被告Y'訴訟代理人は、同第一項中、原告がT医院の医師であること及び被告Yの略歴と被告Y'の身分関係は認めるがその余の事実は知らない。同第二項の事実は認める。同第三項中新婚初夜被告Yが新婚旅行先から実家へ逃げ帰り、原告との婚約を破棄したことは認めるが、その余の事実は否認する。同第四項中(1)については知らない。(2)については否認する。被告Yが原告との婚約を破棄するについては左のとおりの正当事由が存する、即ち、同被告は昭和四四年一一月六日それまで原告と数回見合をした程度で結婚式に臨んだが、その当日、挙式場所の下関市のK宅及び披露宴が開催された小倉区所在日活ホテルにおける原告の言動は恰も酔つ払い或は夢遊病者の如く常軌を逸しており、右当日まで同被告が抱いた原告の印象を一変させたのみならず、之を目撃した同被告は俄に原告との結婚生活に不安を覚え、且つ婚約を後悔し始めたが、周囲の手前もあつて止むなく新婚旅行に出発し、川棚温泉に向つたものゝ、その車中においても前記同様新郎として極端に非常識な言動を敢てし、更には楽しかるべき新婚初夜の営みも粗暴極まる原告の仕打ちに遭つて同被告の不安と恐怖はその極に達し、遂に夜分小倉に電話して母親、相被告Y'らに迎えられ夢中で実家に逃げ帰り、婚約破棄に至つたものであり、右当日における原告の不可解な言動は新婦である同被告にとつて原告との婚約を破棄すべき正当な事由ある場合に該るから、同被告の婚約破棄に違法性なく、従つて同被告はなんら損害賠償の義務を負担しないし、また被告Y'が被告Yと共同して婚約を破棄させた事実もないから被告Y'に損害賠償義務がないことも明らかである、と述べた。

昭和四五年(ワ)第一〇四三号事件について、被告Y訴訟代理人は、「原告は被告Yに対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和四五年八月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

原告はアルコール中毒者であり、又女性関係についてもこれまで数回の離婚歴があり、婚約当時もすでに交際していた女性がありながらこれら諸事実を秘匿して被告Yと結婚式を挙げ、その結果同被告は処女を奪われ、さらに事実無限であるのに義兄との情交関係があるという中傷を受けて損害賠償請求の訴訟を提起される等原告の不法行為により言語に絶する精神的苦痛を蒙つた。よつて原告は被告Yに対し、右精神的苦痛の相当慰藉料として金一〇〇万円の支払義務があるというべきであるから、被告Yは原告に対し右金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四五年八月三〇日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、と述べ、原告訴訟代理人は「被告Yの請求を棄却する。訴訟費用は同被告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、同被告主張の請求原因中原告と同被告が結婚式を挙げたこと及び原告が同被告を相手取つて損害賠償請求の訴訟を提起したことは間違いないが、その余の事実は否認する、と述べた。

〈証拠略〉

理由

先ず昭和四四年(ワ)第一三〇二号事件について判断するに、原告主張の請求原因第一、二項の事実(但し被告Y'については第二項の事実と第一項中原告がT病院の医師であること及び被告Yの略歴と被告Y'の身分関係の事実のみ)及び第三項中被告において新婚初夜、原告の就寝中無断で新婚旅行先から実家へ逃げ帰り、原告との婚約を破棄したことは当事者間に争いがないところ、被告Yは原告との婚約を破棄したについては正当な事由が存するから、右破棄は違法性なく、同被告に損害賠償義務はない旨抗争するので考えるに、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、〈証拠判断・略〉。

一、被告Y及びその家族は、昭和四四年七月下旬頃訴外F、同Uらの紹介により原告を知り、数回の簡単な見合交際の後結納挙式を迎えたが、原告の社会的地位等を軽信する余りその性格人物等に対する充分の愛情と認識を持つまでに至らなかつた。

二、一方原告は過去少くとも二回の結婚に失敗しており、その原因の一つは原告の我儘な性行と母親の若干の過保護にあつたが、原告の患者でもあつた前項訴外人らの紹介により被告Yを知り、同被告と交際するについても、相手に対し深い愛情と思いやりを与える点において欠けるところが少くなかつた。

三、ところで挙式当日原告は下関市の結婚式場及び北九州市小倉区の披露宴の席上において、着衣は締らず、一挙手一投足の態度は鈍重であり、花嫁方親戚に対する挨拶等花聟として弁えるべき最少限度の礼儀についても全く之を意に介せず、新婚旅行の車中においても花嫁に対し優しい笑顔をみせることはもちろん労いの言葉をかけることも更に無く、旅行先の旅館においては独り入浴食事し、不安に戦慄して着替えもしない同被告と強引に肉体関係を遂げた上勝手に就寝し、翌朝始めて同被告の失踪に気付くという有様であつたが、右一連の原告の言動は当日前頃からかゝつていた悪性の風邪のためというより主に原告の性格ないし物の考え方に基因するものであつた。

四、他方被告Yは、挙式当日、以前の印象と一変した原告の姿に接して遂に失望と疑惑の気持に駆られ、婚約を後悔するに至つたが、原告方に対する遠慮や親族に対する手前もあり止むなく新婚旅行先に同行したものゝ、前項原告の所業に遭つて不安嫌悪の情はその極に達し、遂に夜中一一時頃既に就寝した原告に無断で独り旅館を出て実家に電話し、両親と被告Y'に迎えられて北九州市戸畑町の親戚方に立帰つた。

五、しかして被告Yはその数日後仲介者により原告に対し婚約解消すべき旨の意思表示をなし、原告もまた挙式日の約一ケ月後の同年一二月上旬頃には前記訴外Fらの紹介により訴外H子と見合をし、更に後日他人と婚姻して現在に至つたが、同年一二月二五日原告は被告らを相手どつて当庁に婚約不当破棄に基く損害賠償訴訟を提起し、右訴訟上の主張として被告ら間に情交関係が存在したことを疑わせる趣旨の事情を述べた。

六、然し乍ら被告ら間には情交関係等義兄義妹としてやましい関係は全く存在せず、右訴訟上の主張は主として挙式当日原告の挙動を怪んで母親と共に被告Yに種々忠告を与えた被告Y'の言動と被告Yの失踪後数日間同被告方は原告方にその所在を殊更秘匿し、之を明らかにしなかつた事実を原告方親族或は前記訴外F、Uらにおいて彼此臆測邪推した結果とその後の興信所の無責任な調査結果基いたものである。

右認定の事実に基いて婚約破棄の正当事由の有無を検討するに、婚約はその性質上内縁関係と比較してより広い範囲で破棄の正当事由を許す余地があるものと解すべきところ、被告Yの婚約破棄は同被告の認識不足や原被告双方の親族の不信感がその遠因として存在することは間違いないのであるが、前示のとおり、結婚式当日ないし新婚初夜において、新郎として弁えるべき社会常識を相当程度に逸脱した原告の異様な言動を直接最大の原因とするものであり、その結果新郎に対する新婦のそれまでの印象を一変し、且つ今後結婚生活を共にする決意を全く失わせるに至つたものであるから、このような場合被告Yには婚約を破棄すべき正当な事由があり、違法性は存しないと認めるのが相当である。

してみれば同被告には婚約破棄による損害賠償責任のないことは明らかであり、また被告Y'についても前示の次第であつて、他に本件全証拠によるも原告主張の共同不法行為の事実を認めるに足る証拠はないから、同被告に損害賠償の責任がないことは疑いないところである。

ところで原告の本訴請求のうち結納金二〇万円と指輪代及び水引酒肴料等(以下結納等という)の返還請求について若干の考察を加えるに、結納等の法的性質は婚約の成立を確証し、あわせて婚姻が成立した場合に当事者ないし当事者両家間の情誼を厚くする目的で授受される一種の贈与というべきであるから、婚約が解消され、法律上の婚姻が成立しない場合には出捐の原因を欠くことになつて、結納等は不当利得となり、従つて返還義務を生ずるが、結納者及び結納受領者双方に婚約解消についての責任(但しこの責任は必ずしも法律上債務不履行ないし不法行為の責任を生ぜしめるべき責任を意味するものでなく、道義的、倫理的責任をいう)が存するときは、信義則上ないし権利濫用の法理からして、結納者の責任が結納受領者の責任より重くないときに限り結納等の返還を許し、より重いときはその返還を請求することはできないと解すべきところ、之を本件につきみると、前段認定のとおり、被告Yが原告の性格につき充分の知識がないまゝ紹介者の言を盲信し且つその医師という肩書を過信して婚約したことは若干の軽そつの譏りを免れずまた新婚初夜いかなる事由があるにせよ新郎に無断で実家に逃げ帰るが如き所業は新婦として甚だしく不穏当な態度であることに変りはないのであるが、新婦に対する想いやりもなく、その不安な心理を無視して顧みない原告の挙式当日の言動は新郎として極めて非常識な態度というべきであり、婚姻解消についての両者の責任を彼此比較衡量すれば、原告の責任が同被告の責任を上廻るものと認めるが相当であり、果して然らば、原告は同被告に対し結納金二〇万円等の返還を請求できないといわなければならない。

以上の次第で、原告の被告らに対する各請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

そこで次に昭和四五年(ワ)第一〇四三号事件について判断するに、被告Yは原告に不法行為ありとして種々事実を主張するのであるが、原告がアルコール中毒あるいは麻薬中毒者であり、又女性関係についてもこれまで四、五回の離婚歴があり、婚約当時もすでに交際していた女性があつたことについては之を認めるべき確証はない。又原告が被告Yを相手どつて損害賠償訴訟を提起し、その主張のなかで同被告は被告Y'と情交関係があつたことを疑わしめる事情を述べたことは、本件記載上明らかであるが、真実は右主張に反し被告ら問にはなんら情交関係の存しないこと前認定のとおりであり、この点原告において仮令興信所の調査又は周囲の噂、邪推を信じたためとはいえ尚且甚だしく不謹慎であり軽そつの譏りを免れないのであるが、然し乍ら原告としても自ら招いた結果ではあるが、新婦の突然の失踪に遭つて不快狼狽の念を抱き且つ新婦の節操を疑う余り当夜川棚温泉迄同被告を迎えに赴いた(この点は被告Y'の自認するところである)被告Y'との仲を疑つたことも心情的には同情する余地もあるのであつて、その外挙式前後の諸事情を彼此総合勘案すれば、原告の右訴訟上の主張を捉えて法律上なお過失があると断ずるのは相当でない。

更に又被告Yを婚約破棄に追いやつた原告の前示奇怪異様にして非常識な所業についても、先に結納等の返還請求について寸言したとおり、法律上不法行為の責任を問擬すべき性質程度のものとはいえず、他に原告の不法行為を認めるに足る充分の証拠は存しないから、被告Yの損害賠償請求も亦その余の点について判断するまでもなく、理由なきものとして棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(鍋山健 内園盛久 須山幸夫)

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